富士川の舟運から生まれた路線
静岡県の富士駅と山梨県の甲府駅とを結ぶJR東海の身延(みのぶ)線は、富士川の流れとともに歩んできた路線です。
全長88.4km、多くの区間で富士川と並走し、富士山と食のまちである富士宮市や身延山久遠寺への玄関である身延町、武田信玄の隠し湯ともいわれた下部(しもべ)温泉など、沿線には多彩な見どころが揃っています。
身延線の前身は、富士身延鉄道という私鉄です。
明治時代まで、富士川は甲州と東海道とを結ぶ舟運の大動脈で、1日に100隻ほどの船が行き来していました。
しかし、富士川は日本三大急流に数えられるほど流れが急な暴れ川。水運には事故が多く、甲府へ遡上するにも大変な時間と労力を必要としていたため、明治時代から鉄道の敷設を望む声がありました。
JRの前身となる国鉄の身延線として営業が開始されたのは昭和16年のことですが、実際に開通をしたのは昭和3年にまでさかのぼります。甲斐の国と駿河の国との間の輸送は長らく富士川を利用しての船による運搬に頼っていましたが、輸送力の限界や安全性などの問題から鉄道敷設が早くから叫ばれてきました。
途中、戦時の混乱、費用や認可の問題、経路の変更など様々な問題があったようですが、大正2年に富士~大宮町(現富士宮)間が開通したのをはじめ順次工事が進められ昭和3年にようやく富士~甲府間が全通しました。但しこの時点では国有ではなく私鉄の「富士身延鉄道」としての開業で、その後国策により国が買収、昭和16年に国鉄(現JR東海)の「身延線」となり現在に至ります。
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